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2007/12/16 (Sun) 慈愛攻撃を玉砕せよ

一昨日の夜中から昨日にかけて、昨年亡くなった友人の一周忌に行って来ました。 他の友達も一緒のトンボ帰りだったから表参道に行ってる暇もなかったよ。(当たり前!)
2年半、明日があるかどうかも分らない友人と対話しながら、色々教えられる事がありました。 それはもう戦国武将と話をしているようなものだったんです。 彼らに諦めなどという言葉が無いのは確かです。 そして改めて愛すべきものを発見する力がありました。

今、勘助をあちらの世界へやる気満々なNHKの最後の大アピールの中、脚本の中でどうしても解せなかった事、 勘助、そして実は景虎も同じだったある事について書いておきたいと再度思ったわけです。 あ~今日が最終回なんて嘘みたい。


「風林火山」の中でいとも軽々しく台詞に挿入されていた 「慈愛」 と言う言葉。 脚本家氏はこの言葉の意味をどういうつもりで使っているんだろう? と毎回思っていました。 おそらく脚本家氏の 「慈愛」 は、辞書に書いてありそうな(実際調べてないので分りませんが)「親が子に対して、いつくしみ、かわいがる様」 を想定して書いてみえたのでしょう。 毎回取って付けたような、とても軽い言葉に聞こえました。

 



勘助は、最初から家族を持つ為に生きて来たわけではありません。 それは、彼が自分の社会での役割をきちんと考えていたからに他なりません。 欲深い人間とは、他人と同じように自分も同じものを手に入れ、自分の器や役割以上の事を求めるものですが、勘助は己の役割を、万人と同じではなく、一つ譲って、それでも悲観的にはならず、一つの道を極めようとしましたよね。 彼程 「社会的自分」 を考えた上で、己の役割を決め、それを夢として邁進した人物は居なかったでしょう。 悲劇を辿った兄から山本家を託されても尚、彼は自己を守る道を選ぼうとはしませんでした。

景虎も同じでした。 彼も又己の社会的役割、天命のみに従い、人が普通に持つ欲を捨てる事で神仏に近付き、平和と言う目的を果たそうとした人物です。 彼は天命を理解した稀有な人間に生まれついたが為に、ヒトに近付けない孤独な人生を歩みました。


勘助は言われます。 「御仏にも仕えず、身内もおらぬそなたに、まことの慈愛が分るかのお。おのが心を控える事も自愛なれば、おのが心を惜しみなくさらけ出すことも慈愛であろう。 そなたのは所詮、家来としての妄執にすぎぬのではないかな」 あの雪斎の例の 「慈愛攻撃」 です。 良く考えると随分矛盾した台詞ですが、この場合、雪斎としては、慈愛がなんたるかなどどうでもよく、今川の軍師として、裏に謀がある同盟を提示して来た勘助の心に揺さぶりをかけただけの話だと思って私は観ていました。 が、勘助が甲斐に戻ると、今までの成長過程も分らない梅の輿入れが決まり、その別れの朝、三条夫人が人目を憚らず、別れを惜しむ。 そこに勘助は 「まことの慈愛」 を見るという妙な設定でした。
こっちの方が 「視聴者に対する慈愛攻撃だろ!」 と毒付いておりましたが、当時はこんなハチャメチャな最後を迎えるとは思ってもおらず、その辺はサラっと観ておりました。


景虎も又政虎になってから姉の桃に言われます。 「いかに軍神といえども、怒りだけでは戦えまい。 そこに慈愛がなければ、まことの力は生まれまい。 神仏を篤く敬うだけではなく、そなたがまことの慈愛を持てば、越後のみなみなにとって、そなたの心が滅ぶことは決してあるまい」 ここで政虎は関東での事件で成長し、甥の卯松に慈愛の眼差しを向ける。ってこれ又急展開で妙な設定でした。 景虎の場合、驕り攻撃から生じた慈愛攻撃でしたね。


そもそも、「慈悲」 は仏教から出た言葉ですが、「慈愛」 ってとってもキリスト教の香りがしませんか? 神が人間に対して救いの心を持って存在するのが「慈愛」のような気がします。 人間に置き換えた場合でも、隣人愛や博愛に広がる、とっても欧米的なニュアンスの強い言葉だと思います。 
もし 「慈愛」 を親子の関係に置き換えた感情としても、上から下の者を観る眼線で存在する言葉ですよね? 対人間ではなく、あくまで上に立つ者が、その保護下にある者に対する正の感情です。 お屋方様は「慈愛」の目で家臣を見ますが、家臣はお屋方様に慈愛は感じないでしょう。 それは敬愛と言うからです。 
つまり、「慈愛」 が漂わせる欧米思想と、上下関係が存在する事がどうも個人的に解せないのが一つ目。 そして、それは感覚の問題だと大いに譲って考えたところでも、勘助はそんな事言われる筋合いは無いのです。

勘助程自らを晒け出し、感情をむき出しにし、自分の利などこれっぽっちも考えず、それこそ「生きた!愛した!」 をテーマにしていい人は居なかったはずです。 なのに、これ又取って付けたように、リツを養女にして、家族を持つ事で 本物の慈愛を理解したとでも言いたかったのかしら?? 「生きた!愛した!」 という 「ライヴ感」 を描きたかった脚本に、何故慈愛が必要なのか?全くもって欲深きは脚本そのもの。 勘助は最初のあの勘助でよかったんじゃないでしょうか? 慈愛論など関係なく、心の思うまま、捨て身で生きた勘助は、敬愛する主君に出会い、永遠の夢である由布姫に出会い、守り通したい四郎が産まれ、その度に心の赴くまま盲目なまでに彼らに愛情を注ぎました。 もしそんなに慈愛が必要ならば、お屋方様への敬愛は薄れ、四郎への慈愛の物語に変身してもよかったでしょう。 勘助はあそこまで企てたんだから。 けれど勘助はそんな愛情の種類に拘るような小さな人間ではなかったのです。

自分と血の繋がらない人間にそこまでの愛情と信頼を寄せられる事こそドラマに描くべき事で、正にライヴ感を出せたのはそこだと思います。 「おのが心を控える事も自愛なれば、おのが心を惜しみなくさらけ出すことも慈愛であろう」 これは勘助の人生そのものである事は視聴者が一番良く解っている事です。 ならば、「御仏にも仕えず、身内もおらぬそなたに、まことの慈愛が分るかのお」 これは単なる勘助への偏見でしょう。 内野氏は脚本以上に勘助を理解し、創り上げました。 その結果、この雪斎の台詞自体が成立しなくなってしまいました。 今となっては只一つの失態も残さず去って行った雪斎ファンとしてはひじょ~にムカつく事実です。 言われた勘助はもちろんたまったものではありません。 


そして景虎も又同じ屈辱を味わっています。 世を本来の姿に戻す為に我欲を捨てて、ただの変人にされても尚、本当にその夢をリアルに描いて生きた人も又他に一人と居ないでしょう。 彼の一言一言に嘘偽りはありませんでした。 桃が言いたかった事は、「神仏を尊ぶのは良い事だけど、それ以上に生身の人間の気持ちも理解しないと本当の平和を勝ち取れはしませんよ。 人の気持ちが解れば越後の民は先々まであなたの意思を継いで行ってくれるでしょう」 的な事だったんでしょう。 
それ以前から景虎は勘助に出会う事で、自分にも欲がある事を認め(高野山でこの肝心な台詞がカットされたのもどうしようもない) やがて、神仏への傾倒=自分が神である勘違いも、あえて自分は人を超えて神となって生きなければならない。越後の民が未来永劫平和である為には、自分が人を超えて成長し、成果を上げて、その精神を死後も伝えなければならない。の悟りに変わって行きました。 
ここで景虎にとって全てを見透かされている重要な人物である桃の台詞も、慈愛論によってイマイチ見極めが出来ていないお姉ちゃんになり、一番成長させてくれた勘助はどっかに飛び、直接の功労者は伊勢である事にすり変わってしまいました。 
伊勢の 「天罰などというても、所詮は人間の驕りにすぎますまい」 の台詞は、成田氏への罰や小田原城での奇行を、全て 「驕り」のせいにしてしまいました。 この流れで「そなたは少し変わりましたね」と慈愛論を持ち出すと、「驕り」→「負けを認める」→「まことの慈愛を持つようになった??」の法則が無理である事が露呈し、桃の存在価値が下がる気がしてこれ又ムカつきました。
 
だいたい元々勘助の越後潜入と、高野山での再会は、勘助自身が景虎を、命を賭けるに相応しい最強の敵に成長させた事、そしてそれに勘助自身も満足していた事が、後で付けて足したような関東でのエピソード2回で飛んでしまいました。 景虎を最強の敵にまで成長させたのは勘助自身です。 だから私は勘助は自分の死に場所は景虎と決めていたと思ったのかもしれません。

そしてここに慈愛の心が欠落していた「らしい」 勘助と景虎にとって嘘のような「良い見本」として提示された人物の存在がありました。 勘助にとっては北条氏。 景虎にとっては成田氏。 勘助にとって所詮敵ではない北条氏康と竜若丸の慈愛のカケラも無いエピソードが美談として取上げられては、勘助が所詮家来の妄執とまで言われた事はいったいどうしてくれるのだと言いたくなるエピソードでした。

政虎が驕っていたとされる成田氏。 昔はどうあれ、当時暗黙の上下関係を守らない事は、即ち戦に発展すれど平和は齎さない事を全く無視した自己主張。 政虎は多分、この成田氏の自分だけが特別な態度が許せなかった事と、関東を平定する為に、その力関係をああいった正式な場で誇張する傲慢さを他の大名達の前で叩きのめしてみせたのだと考えられました。 その奥方から「さような事もご存知なく」とか「お笑い種と申すほかございませぬ」と言われるのも又極端なお話。

普通に何も考えず観ていたら、多分勘助と景虎ってただの 「バカ正直」 に見えると思います。 その二人が奇しくも出逢った時に、若輩の景虎は勘助から人間らしさを学び、勘助は景虎のその変化を見極めて、それは満足至極の面持ちで甲斐へと帰って行きました。 勘助が手柄を上げた時、景虎はそこに脅威を感じるどころか、嬉しげでもありました。 その言葉通り、景虎にとって成敗に値するのは信玄のみで、憎悪の対象に勘助が含まれた事は一度もありません。 高野山ではむしろ、自分に敵対心という心の灯を燈してくれた勘助に感謝すらしている節がありました。 そして勘助は絶好の機を自ら捨て、その場で景虎を手にかけはしませんでした。 彼らはお互いに生きていて貰わなければ困るのです。 何故なら彼らの活力の源は敵であるお互いだからです。 

敵でありながら、それこそある種の慈愛を持って接して来た二人。 苦渋を味わった年長者の勘助は、人間としてまだ若いが見込みのある敵の大将に対して、慈愛に似た感情を抱いていたのかもしれません。 彼こそ勘助が諸国放浪して探していた人物だったんじゃないでしょうか? 平蔵が宇佐美の下で動いている様に、勘助も運命がどこかで違っていたら、景虎と共に世を鎮めていたのかもしれません。
そして景虎は身分的に上から眼線で、勘助のしたたかさ、軍師としての力、何処か憎めない人物像全てに慈愛に似た感情の目を向けて来ました。 慈愛とはただ人を可愛がる事ばかりではありません。 慈愛は人間に対してだけ抱く感情でもありません。 明日をも知れない人生ならば、普段気にも留めなかった汚れた衣服、お世話になる杯や徳利…物質までが愛おしくなるでしょう。 空も草木も変わり行く季節も。 そして良くも悪くも自分の心を一杯にする人々。 失うと知って初めて解る存在の愛おしさ。 その存在全てが慈愛の対象ではないのでしょうか?  

純粋だから解らなかった、勘助の景虎に対する自分の想い。 一度は自分に仕官しないかと声もかけた景虎の勘助への想い。 晩年を迎えた自覚のある勘助と、勢いを増す上杉政虎となった景虎は、今日決戦の場所で、お互いどんな好敵手を見るのでしょう? そして最後に何を感じるのでしょう? 
本来、本筋にしても良かったハズのこの物語の重要な人間関係、勘助と景虎。 描かれる事も期待出来ませんが、せめて、その慈愛の対象となる母なる大地と空、ここに存在してこそ生まれた証となる勘助を、どうぞ緑の中で空を見上げて、お屋方様を想い…幸せと喜びに包まれて、由布姫の元に還してあげて下さい。 あのやっと見つけた好敵手と言う名の片割れに必ずや見届けられながら。
こんな最後のお願いが頭に浮かぶのは、役者さん達が作り上げた人物像が、最初の設定や脚本、演出を超えてしまったからに他なりません。 

でも現実はきっと、伝兵衛がとんでも重要な役だった!な~んて事になりそうで怖いです。

18:30 |風 林 火 山 | trackback(0) | comment(0) | 【PAGE TOP】↑


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